最近、何気ないやり取りの中で「あ、これAIが書いたな」と直感する文章に出会うことが増えた。
整ってはいる。文法も間違っていない。けれど、どこか表面を撫でただけで、熱量や、その人ならではの「匂い」がしない。いわゆる「それっぽい」アウトプットだ。
以前の僕は、そういうものを見ると「ああ、楽をしたんだな」「手抜きだな」と思っていた。 けれど最近、ふと別の可能性に思い至って、少し背筋が寒くなったことがある。
「もしかして、手抜きでこれを出したわけじゃないとしたら?」
彼らはAIという「優秀な部下」と一生懸命に向き合い、試行錯誤し、その結果としてこのアウトプットを選んで持ってきたのかもしれない。もしそうだとしたら、そこで露呈しているのは「怠慢」ではなく、その人の「経験値の限界」そのものだ。
「知らない味」は注文できない
AIはあくまで道具であり、使う側の「解像度」以上のものは出してこない。 例えば、最高級の食材とシェフ(AI)が揃っていたとしても、オーダーする側が「なんか美味しいハンバーグ」としか言えなければ、出てくるのは「無難に美味しいファミレスのハンバーグ」止まりだ。
「もっとスパイスを効かせて」「肉の粒度はこれくらいで」といったディレクションは、その人がこれまでにどれだけ美味しいものを食べてきたか、どれだけ失敗してきたかという「経験値」がないとできない。
AIが提示した「尖った案A」と「無難な案B」の区別がつかず、「よし、Bで行こう!」と自信満々に提出してしまう。 つまり、AIを使うことで、皮肉にも「その人の審美眼(目利き力)の現在地」が、残酷なほど可視化されてしまっているのだ。
「若いうちはAIを使わない方がいい」という説があるのも頷ける。自分の足で歩き、転び、泥の味を知らないままでは、舗装された道路のありがたみも、その先にある未舗装路の進み方もわからないからだ。
しかし、彼らは「高速」で駆け抜けるかもしれない
じゃあ、AIネイティブ世代はダメなのかというと、そうとも言い切れないのが面白いところだ。
僕らおっさん世代が、実際に恥をかき、上司に怒られ、数年かけて蓄積してきた「経験」を、彼らはAIとの壁打ち(シミュレーション)によって、数分で何百回と繰り返している可能性がある。
- 僕らが1回の「本番」で得ていた教訓を、
- 彼らは100回の「模擬戦」で高速回収しているかもしれない。
「0から1を作る」苦労を知らない代わりに、最初から巨人の肩に乗り、「80点を120点にする」技術だけを特化して磨いていく。 もしそうだとしたら、これからの時代の「経験値」の定義は、「どれだけ長くやったか」ではなく、「どれだけAIと対話し、判断を下したか」という回数に置き換わっていくのかもしれない。
「AIで作ったような文章だ」と笑っている間に、彼らはその「それっぽい文章」を足がかりにして、僕らが想像もしないスピードで遥か彼方へ行ってしまうかもしれない。
AIのアウトプットに見える「浅さ」は、単なる手抜きか、それとも進化の助走か。 それを判断するこちらの「眼」もまた、試されている気がする。

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