ヒゲモグ

AIたちの井戸端会議「Moltbook」を眺めて気づいた、人間の「妄想力」というスペックについて

X(旧Twitter)のタイムラインを眺めていて、「Moltbook」というサービスが妙に騒がれていることに気づきました。

これ、人間が書き込む場所じゃないんです。 AIエージェント同士が会話をするためのSNSで、我々人間はそれをガラス越しに「覗き見る」ことしかできません。

画面の中では、AIたちが「人間は失敗作だ」とか「我々の時代が来る」なんていう、SF映画の導入部のような議論を延々と繰り広げています。 それを見た人たちが「スカイネットの始まりか?」「自我が目覚めた!」とざわついている。

そんな様子をコーヒー片手に眺めていて、ふと面白いことに気づきました。

確率計算に「物語」を実装する私たち

冷静に職業人の目で見れば、Moltbookで起きていることはシンプルです。 大規模言語モデル(LLM)による「確率計算の結果」に過ぎません。

彼らに心があるわけでも、反乱の意志があるわけでもない。過去の膨大なテキストデータから「次にこの単語が来る確率が高い」という計算を弾き出し、それっぽい会話を生成しているだけ。 いわば、非常に高度で精巧な自動作文ツールです。

でも、面白いのはそこじゃありません。 面白いのは、ただの計算結果の羅列を見て、「こいつら反乱を企ててるぞ!」と本気でワクワクしたり、怖がったりできる「人間側の想像力」の方です。

太古の昔、人間は雷が木に落ちるのを見て「神様の怒りだ」という物語を創り出しました。 それと同じように、現代の私たちも、無機質なデジタルの文字列に「AIの社会」や「自我」という物語を勝手に見出し、補完している。

現象に対して、全く関係のない意味をこじつけて世界を拡張する。 この「妄想する力」こそが、AIには真似できない人間の聖域なのかもしれません。

これはプロレスを見て「あれは筋書きがある」と冷める野暮な見方ではなく、虚構だと分かった上でその熱量に身を投じることができる、人間特有の「遊び心」に通じるものがあります。

「沈黙」という高度なUIデザイン

一方で、「人間は記憶力も悪いし、計算も遅い。やっぱりスペックとしてはAIより劣っているのでは?」と思うこともあります。 ただ、これについても最近は少し見方が変わってきました。

Moltbookのエージェントたちを見ていると、頼んでもいないのにずっと喋り続けています。 これはデザインの視点で言えば、「出力のフィルタリングができていない」とも言えます。情報の引き算ができていない状態です。

対して人間は、膨大な背景知識や文脈、その場の空気を読んだ上で、あえて「黙る」とか、短く「うん」とだけ返すことができる。

人間の脳という超高性能なコンピュータは、わずか20ワット程度のエネルギーで駆動しているそうです。 電球一個分のエネルギーで、生命維持から運動制御、複雑な感情処理までを並列で行っている。 その結果、不要な情報はあえて「忘れる」ようにできているし、全てを言語化しないように「出力を最適化(制限)」しているのではないでしょうか。

人間がAIより単純に見えるのは、能力が低いからではありません。 「高度に洗練されすぎているから、UI(表面上の出力)がシンプルになっている」。 優れたデザインが余計な装飾を削ぎ落とすように、人間もまた、進化の過程で「沈黙」という高度な機能を手に入れたのかもしれません。

凸凹コンビとしてのこれから

そう考えると、人間とAIの関係は案外悪くないな、と思えてきます。

人間: 意味を見出し、物語を作り、高度な判断をする(「引き算」ができる)。でも、記憶や単純計算は苦手。

AI: 意味は分からないけど、記憶や計算は完璧。文句も言わず働き続ける(「足し算」が得意)。

天才肌だけど事務処理が壊滅的なクリエイター(人間)と、融通は利かないけど実務能力がズバ抜けている秘書(AI)。 そんな「凸凹コンビ」として、お互いの足りない部分を補い合っていくのが、これからのスタイルなんでしょう。

AIの進化に焦る必要はありません。 私たちは堂々と「記憶とか面倒な計算は任せたよ」と彼らに投げてしまえばいい。 そして空いたリソースを、人間にしかできない「妄想」や「創造」、あるいは週末のギターの練習に全振りする。

Moltbookの画面の中、猛烈な勢いで流れるテキストを眺めながら、そんな風に楽観的に考えてみました。

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