木を見て森を見ず

「木を見て森を見ず」。 細かいことに気を取られて、本質や全体像を見失うことの例えですが、社会人として仕事をしていると、この状況に出くわして「勘弁してくれよ……」と思うことがよくあります。

最近で言えば、前橋市長や伊東市長のニュースなんかがそうでしょうか。 本人の資質はもちろん大事なんですが、不祥事の追求だとか、過去の経歴がどうだとか、そういった議論だけで議会が紛糾して、肝心の市政(森)が止まってしまう。 ニュースを見ていると「そこも大事だけど、頼むから街のことを前に進めてくれ」と、納税者としては言いたくもなります。

あと、よく言われる「市民が汗水流して働いている時間に、税金で給料をもらっている公務員がタバコを吸って談笑しているとは何事か」という批判。 あの考え方、個人的にマジで嫌いです。

いや、それって民間企業だって同じでしょと。社員の休憩時間もコストも全部ひっくるめて商品価格に反映されてるわけで、構造としては変わらない。 そういう細かい精神論でマウントを取って、足を引っ張り合って、結局大局が止まるのが一番無駄だなあと思うわけです。

……とまあ、社会に対してはそんなふうに「森を見ろよ!」と偉そうに思うんですが、ふと我が身(趣味)を振り返ると、僕は全力で「木」しか見ていないことに気づきます。

例えば、テニス。 スポーツなんだから、本来の目的(=森)は「試合に勝つこと」です。 泥臭くても相手のコートにボールをねじ込んで、ポイントを取るのが正義。

でも、僕の場合はちょっと違う。 「新しいラケットの振り抜きはどうかな」とか「今回のストリングの感触は……」なんてことばかり考えてる。 試合に負けても、スイートスポットで捉えた「気持ちいい一打」があればそれで満足しちゃったりする。勝負よりも、打感や道具という「木」の部分ばっかり楽しんでるわけです。

ギターに至ってはもっと酷い。 ギターの本質は「演奏」であり、いい音を出したければ機材をいじる前に練習しろ、というのが正解です。 でも、練習という広大な森には入らず、ひたすら「機材」という名の木を眺めています。

「あの歪みエフェクターを買えば、理想の音が出るんじゃないか」 そうやってデジマートを巡回し、機材をあーでもないこーでもないと買い替えては、「違った、これじゃなかった」と繰り返す。 腕を磨く時間を機材選びに使っている時点で「本末転倒」なんですが、悲しいかな、これが楽しい。

……いや、よく考えたら比喩じゃなくて、僕は物理的に「木」そのものが大好きなんだ。

メイプルの虎目が出ているトップを見てニヤニヤし、マホガニーの導管を眺めてはウットリする。 さすがに高級なエボニー指板や、希少なハカランダを使ったギターなんて高くて買えません。

だからせめて、「エボニー製のピック」を買ってその硬さを指先で確かめたり、「ハカランダ製の定規」を買ってクンクンとその特有の甘い香りを嗅いだりして楽しんでいます。 はたから見たら定規の匂いを嗅いでいるただのヤバいおじさんですが、僕にとっては極上のアロマテラピーなわけです。

「森を見ろ」なんて言われても、知ったこっちゃない。 僕は、この美しい「木」を眺めて、触って、匂いを嗅いでいたいだけなんだから!

社会の話では「木を見て森を見ず」なんて偉そうなことを言いましたが、撤回します。 木、最高。

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